実録むすめ/絵日記 その2

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4か月になり、一般的なイメージの赤ん坊らしくなっていきます。生まれつき顔に白あざがあり、週2回治療に通い出すのもこの頃。講師の仕事と通院でほぼ毎日外に出ていました。あざ治療に半年くらい通いましたね。



3か月健診でうちの子が一番頭髪がおさびし山でした。1歳半すぎてもほにゃほにゃでユパ様みたいな髪型でしたね。



4か月でようやく人間らしい遊びができるようになってきます。



今(6歳)は常に左だけ二重まぶたでたまに右も二重になります。



おもちゃよりも生活用品を喜ぶのは赤ん坊あるあるなんですけれど、むすめの場合は洗濯ネットでした。



いろいろ声を出してみてどういう口の開け方をしたらどういう音が出るのかを試しているの、と数年後に本人が言っていました。



段々と母を求めるようになっていきます。





おもちゃを片方の手からもう片方の手に持ち替えるのに半年以上かかるんです、人間て。

この頃一緒に仕事したロシア人歌手の方から「モウ歯ハ生エタ? 歯ガ生エルト ナクヨ」と言われていて、本当に夜泣きがひどくなりました。細切れにしか眠れない日々がこの先 半年以上続くことになり、絵日記も途絶えます。




運動の発達はやや遅めだったので余計に言葉が早かったのかもしれません。
お座りが8か月、そこからハイハイがなかなかできず、その場でぐるぐる回ったり後ずさりしていました。
保育士のときの経験で足の裏を押して前に進むコツが掴めるように補助したこともありましたけれど、なかなかうまくいきませんでした。本人も特に困った様子も無さそうだったので気にしないことにしました。前に向かってハイハイできるようになったのが生後11か月の時です。
誕生日前に立ち上がりましたが、ハイハイ+ひざ立ちのほうが便利だったようで、歩き出すまでにそこからさらに3か月かかりました。




ちっちの事後申告をするようになり、おまるもけっこうな成功率で、「おおー!これは早くおむつが外れるぞい」とほくほくしていたのですが、このあとイヤイヤ期が訪れ、そこから先1年間、何の進展もなく過ぎていきます。
非常に物事をよく分かっている赤ん坊だったので、保育園では優等生、家では全拒否の日々でした。すごい内弁慶。

1歳になったときに保育園の保育士さんから
「もうコップで上手に飲めるので哺乳瓶はお返しします」
と言われたときには我が耳を疑いましたね。
自分の子を持ってみて一番驚いたのはここです。私は7年の保育士経験がありますが、自分が保育所で見てきた子どもらの姿とあまりにも違うんです。でも保育園から伝えられるむすめの姿は昔私がみてきた子どもらのそれで、ああーこんなに違うんだと思いました。
元保育士の沽券にかかわると思って家できちんと教えてたんですよ。排泄や着替えや食事のことなど。でも拒否。ことごとく拒否。

「よっちゃんはおまるで上手にできるので、お昼寝のとき以外はパンツで過ごします」
嘘だ・・・
「パジャマのボタンも自分ではめて着替えています」
信じられないそんなこと・・・
「お箸で上手に残さず食べています」
どこの世界の誰の話かしら・・・

母親で楽だったことも勿論あります。何も呼びかけなくても、歌や絵本でひきつけなくても勝手に後をついてくることです。「呼ばなくても近くに来る! なんて楽なんだ」と思いました。

1歳過ぎてから私に徐々に余裕が出てきます。この後、育児4コマを少しずつですが描くようになります。


 → 実録むすめ/11か月~1歳10か月
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