一回休み

私は、相手の言葉が相手の内側でまとまるのを待つ時間が好きだ。まとまらずにずっと黙っていてくれても構わないし、短い言葉でもいい。

義母は、私が義母の言葉を沈黙で待つと、不必要な言葉で埋めてくる。弾幕か?って勢いで埋めてくる。元気だった時もそう、何も食べられなくなって過ごす病室でもそう。沈黙が怖いというだけでは無さそうだ。

義母はお喋りは上手なのかもしれない。私は義母の発した言葉の意味は分かる、けれど、何を言いたいのかが分からない。私が質問しても欲しい言葉は得られない。どれだけ不必要な言葉を聞いたら必要が出てくるのだろうか?

これは、会話の型が違うからこうなるのだろうか?


夫はこれで精神が削られた。終末期まで親の言葉を待って待って待って、諦めた。

「分かりたい」という気持ちが己を壊す。自分を守るために、現実を回すために、理解を諦めるという苦渋の決断を迫られる。

自分は大丈夫だと思ってたけど、そんなことはなかった。

疲れている。こういうときは弾きたいも描きたいもうんと弱くなる。

でも、まあ、のんびり過ごしたら、たぶんそのうち戻るやつ⋯⋯