結果的に私は、義母を深く理解する人間のうちのひとりになった。
なぜ理解できたのか、その理由を考えてみた。義母と私はどちらも、いつまでも惑い心を開いたままのタイプだ。ある程度歳をとっても「自分の感情人生はこんなもんか」と心を閉じることが無い、役割に自分を固定しない女。
互いに内側に似たところがあったから、私は義母の一部深いところを理解できたのだと思った。
けれど私たち二人は、外に向けての出し方は決定的に違った。
お義母さんは自分の感情にガソリンぶっかけて現実ごと燃やすタイプ、私は演奏や創作に変換してバンバン燃やすタイプだ。
なので私は「息子はたまったもんじゃないよな」と思うけれど、お義母さんの感情は否定しない。「気持ちは分かるが現実は燃やしちゃ駄目だろw」と一歩引いたところから眺められる。
そんな私はあの親子(義母と夫)の緩衝材としてうってつけだったのだ。いい看取りだったと思う。
みんなも感情にガソリンぶっかけて現実を燃やさないようにしてね。