ユッカ

片付けや手続きがまだまだあるものの、大体は終わった。

そうしてまたここに来れている。


義母は年は越せると思ってたんだけどな、越せなかった。

現実を回すために、今月の中旬に一度、義母を理解することを諦めるという苦渋の決断をした私だったが、理解の糸口は別方向から得られた。

書類を探すために義実家(とにかく物が多い)を捜索したときに、出るわ出るわ物的証拠が。つまり、物が教えてくれた。


義母の最期の夜は私が付いた。

頷くか首振りで「はい」か「いいえ」を伝えるのみになった義母、ここでようやく、


こちらの話が通じた⋯⋯⋯。


義母が最期に息子(私の夫)へ伝えたい言葉は「ごめんね」だった。

「ありがとう」でも「ありがとう、ごめんね」でもなく「ごめんね」だった。


たぶん息子相手ではこれを引き出すのは難しかった。この親子は私を緩衝材にしたのだ。私も、それでいいと思った。義母の“不必要”から可能な限り夫を遠ざける、それが私の役目なのだから。

義母も息子を呼ばない。最後の週に義母が指定したのが【私】だった。静かに閉じることができる相手だと判断したのだろう。「頑張って」も「もう頑張らなくていいよ」も言わず、手や肩をさすって「ここにおるよ」とだけ言う奇妙な嫁。

もう取り繕う必要の無い静かな夜。夜明けを拝むことができたのは幸いだった。


昨日、義母のカード入れを確認したら、今年の2月の入院時に貰ったであろう、友人からのお見舞い金(封筒に入ったまま)と、今年の初めに私が渡したお年玉が入っていた。見覚えのある巳のポチ袋。

バカだなあ、さっさと使えばいいのに、大事に取っといてさ⋯⋯


おそらくだけど、この株の初めての花がこれから咲く。